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柿谷曜一朗選手の移籍会見について

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2014年7月16日付けでスイスのフースバル・クラブ・バーゼル1893(Fussball club Basel 1893/スーパーリーグ)へ完全移籍することになりました弊クラブ所属のMF柿谷曜一朗選の移籍会見を、本日行いましたので、内容をお知らせいたします。


■柿谷曜一朗選手挨拶
みなさん、こんにちは。柿谷曜一朗です。
移籍が決まったのですが、16日まではセレッソ大阪の選手として2試合残っているので、セレッソのチームの一員として乗り切ろうと思っています。セレッソ大阪の柿谷曜一朗として残り2試合応援していただけたらと思います。

■質疑応答
Q.スイス・FCバーゼルへの移籍ということですが、移籍に至った経緯と決意した理由を教えてください。
A.理由はたくさんありますが、やっぱりワールドカップを経験して、個人的にも日本の力というものを世界に示せなかったというのがすごく悔しかったですし、もっといい準備ができたんじゃないかと、そしてもっとチームに貢献できたんじゃないかと思いました。あの舞台ではベンチから見ている時間が多かったですけれど、本当に中心選手として試合に出たいと言う気持ちが強くなったと言うのも一つの理由です。

Q.移籍に至った経緯についてはいかがでしょうか?
A.本当にたくさんの人に相談して、自分からセレッソ大阪のユニフォームを脱ぐっていうのはすごく難しい決断でした。けれど、決まった以上本当に後悔していませんし、もう一生懸命やるだけかなと思っています。

Q.今、ご自身の言葉から出たように柿谷曜一朗といったらセレッソ大阪、幼い頃から慣れ親しんだチームだと思いますけれど、セレッソを離れることについてどう思われますか。
A.そのことに関してですが、やっぱりサポーターの皆さんの前で15日にしっかりと話をしたいなと思います。もう少し考える時間をください。


Q.いろんな方に相談したと言うことですが、決断する際にもらったアドバイス、印象に残っている、心に残っている言葉があったら教えてください。
A.本当に最後は自分で決めましたけれど、僕の尊敬する選手である森島(寛晃/セレッソ大阪アンバサダー)さんももちろんそうですけれど、森島さんには直接まだ言えてなくて、西澤(明訓/元セレッソ大阪)さんと大久保(嘉人/川崎フロンターレ)さんにそういう話をしているときに、「行かないとわからへんこともある」とよく言われていて、森島さんというのは(海外へ)行ったことがないので、そこの気持ちはやっぱりわからへんところもあると思っていましたし、その二人からやっぱりそういう経験を積むっていうのは大事なことやし、成功するかしないかはわからへんけど、行けるときにチャンスがあるなら行くべきやと言われていたので、そこは自分にとってはすごく決断する時の後押しになってくれたなと思っています。

Q.迷いましたか?
A.そうですね。迷う・・・。迷うっていうよりは、セレッソを離れるべきなのかっていうところを一番、正直に迷ったというか、考えました。

Q.チームの中で仲の良い山口(蛍)選手とはどんな話をされましたか?
A.(山口)蛍に関しては、ワールドカップのピッチで僕自身が、仲がいいとかじゃなくて、正直誰よりも輝いていたと思うし、蛍も今後そういう夢を持っているので、そういう舞台に飛び込んでいくと思いますけれど、これでホンマに自分がやらなあかんと思ったと思うし、もう曜一朗くんには頼らへん、自分でやっていくっていうふうに言っていました。ホンマに頼れるキャプテンやなと、その時思いました。


Q.FCバーゼルというチームに対する印象はいかがでしょうか?
A.印象というか、チャンピオンズリーグのトーナメントで上の方までは行ってないかもしれないけれど、常にグループリーグで強豪と言われているところを倒したりしている。なんせスイス(スーパーリーグ)では今5連覇中で、本当に魅力のあるチームだなと思っていましたし、そこの一員、バーゼルの一員になれるのはすごく誇りに思っています。

Q.柿谷選手自身がバーゼルに行ってからの具体的な目標を教えてください。
A.まず、サッカーはもちろんですけれど、まず早く言葉を覚えて、全選手としっかりコミニュケーションを取れるようにしたいなと思います。その中でプレーっていうのは変わってくると思いますし、いち早くチームメイトとコミュニケーション取れるようにしたいと思っています。

Q.言葉のほうはいかがですか?
A.今のところは全然ですけれど、覚えようという強い気持ちがあるので、なんとかなると思います。

Q.柿谷曜一朗選手自身としては、スイス・スーパーリーグのその先に何か見えている目標があったら教えてください。
A.いや、まだそこまで(先のことは)明確には見えていないですけれど、クラブ側からもステップアップしていってほしいと言われていますし、そのために全力でサポートする。まずは、バーゼルでしっかり活躍してもらわないといけないって言われているので、どこかに移籍するために活躍するっていうふうに自分で考えて試合に挑むと失礼だと思うので、まずは本当にバーゼルで次の6連覇に向けて、しっかりチームのためにプレーできればいいかなと思います。

Q.生活のことで言いますと、柿谷選手は大阪、それから徳島で生活してきましたが、スイスでの生活で心配なことはありませんか。
A.心配なことがたくさんあって、最初はしんどいでしょうけど、そういうのはやっぱり誰でもできる経験じゃないし、今は心配というよりは楽しみでいっぱいなので、何をするにもうまく伝えられなかったりというのはあると思いますけれど、でもホンマにサッカーをやりに行くっていうことには変わりないので、サッカーが100%できる環境っていうのを自分なりに作っていければいいかなと思っています。

Q.逆に大阪での、セレッソでの思い出は何でしょうか。
A.どうですかね、一番っていうのは、いっぱいあるんであれですけど。でもやっぱり2012年に帰ってきて、このチームで8番を付けてプレーできるって決まったときは、セレッソにいて一番幸せやった時間かなと思います。


Q.今日も柿谷選手の言葉を待っているサポーターがいると思います。具体的なことはおいおいと言うふうにお話がありましたが、今言える範囲でサポーターにメッセージをお願いします。
A.セレッソでタイトルを取ってから行くって言っていたので、そこはすごく申し訳ない気持ちがあります。

Q.今後に向けての力強い一言を最後にお願いします。
A.ホンマに厳しい環境になるとは思いますけれど、今まで通りサッカーを楽しんで、今後の自分につなげていけるように頑張ります。

Q.チャンピオンズリーグで対戦したいチーム、選手などあればお聞かせください
A.チャンピオンズリーグというのは、今までテレビで見るという世界だったので、あまりまだ実感はありませんので対戦したいチームもなければ選手もまだいません。バーゼルの一員としてそういう大会に出られる、そして自分がしっかりと活躍するというイメージだけをもっていればいいと思うので、あまりどことやりたいとかはありません。

Q.海外移籍でご自身はどういう選手になっていきたいと考えていますか?
A.プレーもそうですが、この半年間、チームとしても個人としてもいい結果が残せませんでした。去年はコンスタントに結果が出てて、自分の弱いところもありましたが、結果が出ている中で見落としてしまっていたのかなと思います。
そういうところがまだまだ弱いというか、セレッソの中心で絶対的な存在というのは、自分にはまだまだ早いのかなとも思いました。森島さんや西澤さんだったり、セレッソを支えてきてくれた人達のいいところっていうのを全部自分のものにできたら、もっともっと大きくなれると思いました。この半年間、すごく楽しかったですけど、色んな注目の中で自分に勝てなかったというのが正直一番悔しくて、だからこそ、自分が尊敬している人達のいいところを全部取り入れて、取り入れることができたら、またこのチームで本当の8番をつけられる選手になれるんじゃないかと思います。
だからそういう意味でこの海外挑戦というのは自分にとってかなり大きな出来事だと思いますし、自分は成功するとしか思っていないですし、それはサッカーだけではなく、全てにおいて成功するってイメージだけを今は持っています

Q.海外に出た先輩にアドバイスをもらった中で、具体的に海外に出ることへのメリットで一番自分に刺さった言葉を教えてください。
A.行かないと分からない、というのが自分の中で後押しになりました。本当にその通りだなと思えるように、しっかりやりたいと思いますし、(海外に)行ったからこそ、何かつかんだものがあると思うし、それを自分も経験したいと思えたのがすごく大事だったかと思います。

Q.先日チームメイトの前で挨拶をされたと聞いています。言える範囲でチームメイトにどのような言葉をかけたのかを教えてください。
A.特に今のチームメイトというのが、今までサッカーをやってきた中でこれ以上ない仲間やと思ってたんで、一緒にサッカーが出来なくなるのは、残念やけど、おれもがんばるから、みんなも頑張ってなと言いました。

Q.初めての海外生活で日本から持っていきたいものがあれば教えてください
A.持って行くものは、向こうで買えばいいと思っているので、あまり持って行くものはありませんが、皆からのメッセージだったり、飾ってて自分をやる気にさせてくれるようなものは必ず持って行きたいと思います。




 

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